播磨路や漕出で見れば雲かかる武庫山櫻今盛りなり
この歌は鎌倉時代後期の私撰和歌集『夫木抄』(ふぼくしょう)に収録されている権僧正公朝の歌です。播磨路へと向かう旅人にとって、雄大な六甲の山々がどれほど名残しく感じられたでしょうか。 六甲山は古くは武庫山と呼ばれ、当時からその景観は人々を魅了し、数々の歌に詠われてきました。『六甲』の著者、竹中靖一によれば三百首余りを数えることが出来るということです。また紀行文や随筆などにおいてもその勇壮な景観は常に描写されてきました。明治時代に入ると、イギリス人A・H・グルームArther Hasketh Groom1846-1918によって避暑地としての開発が始まり、同時に禿山として知られた六甲山の植林活動も行われるようになりました。神戸市とグルーム氏との先導の下で行われた一連の開発は、かつては有馬・丹波との交流の障害とまでいわれた禿山を、山岳レジャーという新たな娯楽様式の発信拠点とするまでに至りました。このオンラインライブラリーでは開発途上の戦前から、もっとも大きな賑わいをみせた高度成長期の写真を中心に公開し、その歴史と文化とを紹介しています。
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